レジェンド伝説の名選手

山下俊夫選手と「ムロオ関西大学ラグビーAリーグ」

山下俊夫選手と「ムロオ関西大学ラグビーAリーグ」 一昨日の9月1日、関西協会のホームページで次のような発表がありました。 ---------- 冠スポンサーに株式会社ムロオが決定 2016 関西大学ラグビーAリーグ命名権(ネーミングライツ)についてのお知らせ 2…

岩井信幸選手

岩井信幸選手 1970年代に近鉄ラグビー部(現近鉄ライナーズ)で活躍され、その後、布施ラグビースクールの校長を務められていた、岩井信幸氏が今月10日にお亡くなりになったことが、同ラグビースクールのフェイスブックで発表されていました。 謹んでご冥福を…

原進選手(阿修羅・原)、近鉄ラグビー伝説の名選手

原進選手(阿修羅・原)、近鉄ラグビー伝説の名選手 先日のブログでも書きましたが、近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)のレジェンド(伝説の名選手)ともいえる原進選手が2015年4月28日に逝去されました。 プロレスに転向し「阿修羅・原」として一世を風靡してその…

原進選手(阿修羅原)ご逝去

すっかりご無沙汰してしまい、当ブログの更新が出来ておりませんでした。 友人が統一地方選挙に出馬するということで、そのスタッフに加わり、大変忙しくしておりました。今までは市議会議員選挙でしたが、今回はその市の市長選挙への立候補で、選挙運動の…

石塚廣治(石塚広治)選手(2)

(つづき) ★1965年度(昭和40年度) 近鉄に入社。同期入社に同大での盟友坂田好弘、中井司郎(法大)、更に田中行正(花園高)、前田弘夫(花園高)、近藤典夫(天理高)らがいました。 近鉄はそれまでの3シーズン、全国社会人大会で八幡製鐵に敗れており、中井・坂…

石塚廣治(石塚広治)選手(1)

石塚廣治(石塚広治)選手は昭和35年(1960年)から昭和45年(1970)まで日本ラグビー界で大活躍した選手です。同志社大学と近鉄で黄金時代を築いた名選手です。 ポジションはバックローセンター、ナンバーエイト。ちょうど石塚選手が現役中に、このポジションの…

田代和部長ご逝去

元近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)部長の田代和氏がなくなられたとの事です。 ■共同通信 2013年11月28日 14時01分 元近畿日本鉄道社長で大阪商工会議所の会頭を務めた田代和(たしろ・わ)氏が24日午前11時33分、心不全のため奈良県生駒市の病院で死…

黒坂敏夫選手

近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)のフロントローといえば伝統的に強力で、多くの代表選手を輩出してきました。 戦後の復興期の中島義信選手(立命館大出)、貝元義明(南義明)選手(関西学院大出)や、1960年代には川崎守央選手(布施工高出)、中山忠(畠山忠)選手(…

上坂桂造選手

上坂桂造(こうさか・けいぞう)選手。近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)のみならず日本ラグビーのオールドファンの中では覚えておられる方が多いと思います。 昭和20年代後半から昭和30年代にかけて同志社大学・近鉄・全日本で活躍したSO(スタンドオフ)…

中井太喜選手ご逝去(2)

中井太喜選手ご逝去② 少し前に中井選手の追悼ページが近鉄ライナーズの公式ホームページにアップされました。 http://www.kintetsu.co.jp/rugby/mourn/01.html 前田隆介監督のメッセージに続き、同期入部の豊田大樹選手のメッセージがあります。 豊田選手が…

中井太喜選手ご逝去

中井太喜選手ご逝去 2013年5月12日(日)、近鉄ライナーズの中井太喜選手が亡くなられました。 ライナーズのホームページに突然発表され、一ファンとしては何が何だか分からず、その事実が受け入れられず、詳細も分からず、もやもやした気持ちで居りました。 …

今里良三選手

近鉄ラグビー部(現近鉄ライナーズ)黄金時代のスクラムハーフは、どれも全日本クラスの選手たちでした。 ・大江賀寿雄(日本大、1947年入部、1942年全日本東西対抗優勝メンバー) ・門戸良太郎(同志社大、1952年入部、1948年全日本学生東西対抗優勝・1954…

坂田好弘選手(その2)

坂田好弘選手(その2) 某掲示板で昨日の読売新聞に坂田選手のことが載っていることを教えていただき、早速、読んでみました。 今シーズンで大体大の監督を勇退されると言うことで、選手時代の引退間際のことと絡めての記事で、読んでいて思わず涙が出そう…

田代 和・部長

80年以上の歴史を誇る近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)は、現場の選手・指導者以外にも実に多くの人達によって支えられてきました。 その中で、クラブの責任者として、ラグビー部の部長さんは、会社社内のことや対外的なこと、そして何と言ってもクラブ…

坂田好弘選手

近鉄ラグビー部(現近鉄ライナーズ)のみならず、日本のラグビー選手で一番世界に近付いた男と言われ、世界のラグビーシーンでは「空飛ぶウイング」と呼ばれた、坂田好弘選手が、この度、IRBのラグビー殿堂入りされました。 1975年の現役引退後は大阪体育大…