1970(S45)年度の関西リーグ①
前年度、全国社会人大会で優勝を飾ったものの、日本選手権は第2回アジア選手権と日程が重なり、代表選手を多くかかえる近鉄は、日本選手権を辞退しました。(詳細はウィキペディア「日本ラグビーフットボール選手権大会・第7回日本選手権の辞退」参照)
その前年度で多くのベテラン選手、神野崇・鎌田勝美・伊家村昭三、豊田次朗・大久保吉則らが引退して、レギュラーの顔ぶれも大きく若返りましたが、ポジションによっては抜けた穴をうずめられずに選手を固定できないポジションがありました。
【トヨタ自工戦】
近鉄は福田広監督が出張で不在で、中山忠コーチらのコーチ陣が指揮をとりました。更に背骨を傷めて欠場していた坂田が復帰しました。
トヨタはそれまでに京都市役所に破れており、その後、大阪府警にも20-19という薄氷を踏む勝利、更にこの日は枝田英雄、堀合正行のロック陣が負傷で出られないことで、FW戦で近鉄が有利に立てるのではないかと思われました。
近鉄は前半の終了間際にPGを成功させ、前半を6-13で折り返しました。
後半、風上に立った近鉄は開始から攻め込み、⑪坂田好弘が2本目のトライ。5分にもPGを決めて12-13と1点差まで詰め寄りました。
その後、一進一退でしたが、14分に⑧石塚広治のパントをトヨタFB⑮万谷勝治が受けてWTB⑭原弘毅へ繋ぎ、原のパントから最後はまたも⑥吉永昌夫がゴールに持ち込みにトライを許しました。ゴールも成功し、12-18と引き離されてしまいました。
その後、更に20分にも⑭原弘毅にトライを許し、合計12-21で敗れました。
関西協会の土岐一郎氏は後日、日本協会機関紙でこの試合をレポートしており、近鉄の敗因は「FWが個人プレーにかたより、チームプレーにまとまりを欠き、そのため防御が甘くなったこと」と感想を述べています。
【京都市役所戦】
京都市役所には前年、前々年と2年連続リーグで敗れていました。特に前年は完敗という試合でした。
試合は、序盤、京都に3-5とリードされましたが、前半30分、京都⑮戸島文夫のキックを⑧石塚広治がチャージして①川崎守央がトライして逆転し6-5でハーフタイム。
後半も15分には近鉄が得たPGを③黒坂敏夫が外すもタッチキックで逃げようとした京都バックスを⑦森田顕が潰し、そこから左右に揺さぶって④小笠原博がトライ。
続く24分には京都のTBパスを⑫諏訪輝夫が見事にインターセプトから、追走した⑭浜野武史に渡り、浜野が快走してのトライで14-5と突き放して試合を決めました。
その後もトライを加え、終わってみれば30-5。近鉄FWの頑張りもあり7トライを奪う快勝でした。
次節は優勝をかけての三菱自工京都戦となりました。
続く