1970(S45)年度の関西リーグ①

1970(S45)年度の関西リーグ①
 
1970年度(昭和45年度)のシーズンは近鉄ラグビー部にとって多難なシーズンとなってしまいました。
 
前年度、全国社会人大会で優勝を飾ったものの、日本選手権は第2回アジア選手権と日程が重なり、代表選手を多くかかえる近鉄は、日本選手権を辞退しました。(詳細はウィキペディア日本ラグビーフットボール選手権大会・第7回日本選手権の辞退」参照)
 
その前年度で多くのベテラン選手、神野崇・鎌田勝美・伊家村昭三、豊田次朗・大久保吉則らが引退して、レギュラーの顔ぶれも大きく若返りましたが、ポジションによっては抜けた穴をうずめられずに選手を固定できないポジションがありました。
 
その後、3月には全カナダ、ニュージーランド学生選抜を迎えての三国対抗があり、また地元大阪では千里丘陵万国博覧会(万博)が開催されたという年でした。
 
ちなみに、この1970年4月より、三菱重工京都は「三菱自工(自動車工業)京都」となり、富士製鉄と八幡製鐵の合併により、富士鉄釜石は「新日鉄釜石」、八幡製鐵は「新日鉄八幡」となりました。
 
トヨタ自工戦】
そんな中でもシーズン序盤の近鉄は中部自衛隊栗田工業を順調に破り、関西社会人リーグの第3戦でトヨタ自工戦を迎えました。
 
11月15日(日)、花園第一グランドで関大が関学を破り、大阪府警が中部自衛隊を破ったあとの第3試合でした。
 
近鉄は福田広監督が出張で不在で、中山忠コーチらのコーチ陣が指揮をとりました。更に背骨を傷めて欠場していた坂田が復帰しました。
 
トヨタはそれまでに京都市役所に破れており、その後、大阪府警にも20-19という薄氷を踏む勝利、更にこの日は枝田英雄、堀合正行のロック陣が負傷で出られないことで、FW戦で近鉄が有利に立てるのではないかと思われました。
 
予想通り試合はキックオフから風下の近鉄が攻め込みましたがトヨタがしのぎ、14分近鉄陣でのラインアウトからロングスローでトヨタ⑥吉永昌夫が受けて飛び込み先制トライを許しました。
 
近鉄19分にFWの頑張りから左に回して⑪坂田好弘がトライ。以後攻勢に出ましたが、トヨタデフェンスも硬く、なかなか崩せません。
 
逆に23分、近鉄TBのキックをチャージされ追加点を許し、更に31分にも近鉄ゴール前のPKから⑧安藤勝彦にトライを許してしまいました。
 
近鉄は前半の終了間際にPGを成功させ、前半を6-13で折り返しました。
 
後半、風上に立った近鉄は開始から攻め込み、⑪坂田好弘が2本目のトライ。5分にもPGを決めて12-13と1点差まで詰め寄りました。
 
その後、一進一退でしたが、14分に⑧石塚広治のパントをトヨタFB⑮万谷勝治が受けてWTB⑭原弘毅へ繋ぎ、原のパントから最後はまたも⑥吉永昌夫がゴールに持ち込みにトライを許しました。ゴールも成功し、12-18と引き離されてしまいました。
 
その後、更に20分にも⑭原弘毅にトライを許し、合計12-21で敗れました。
 
戦前の予想通りFW戦で近鉄が有利に進めましたが、かえってトヨタデフェンス意識が高く、近鉄が攻めきれずに、その隙にトヨタが少ないチャンスを確実にモノにしました。
 
関西協会の土岐一郎氏は後日、日本協会機関紙でこの試合をレポートしており、近鉄の敗因は「FWが個人プレーにかたより、チームプレーにまとまりを欠き、そのため防御が甘くなったこと」と感想を述べています。
 
この結果、京都市役所、トヨタ三菱自工京都、近鉄の「四強」が早くも1敗ずつとなりました。
 
京都市役所戦】
トヨタ戦の翌週、11月22日には大阪府警と対戦。前半5-8と苦しめられましたが、後半引っくり返し、13-11での辛勝でした。
 
そして12月6日に西京極球技場(陸上競技場ではない)で、四強の一角である京都市役所と対戦しました。
 
京都市役所には前年、前々年と2年連続リーグで敗れていました。特に前年は完敗という試合でした。
 
試合は、序盤、京都に3-5とリードされましたが、前半30分、京都⑮戸島文夫のキックを⑧石塚広治がチャージして①川崎守央がトライして逆転し6-5でハーフタイム。
 
後半も15分には近鉄が得たPGを③黒坂敏夫が外すもタッチキックで逃げようとした京都バックスを⑦森田顕が潰し、そこから左右に揺さぶって④小笠原博がトライ。
 
続く24分には京都のTBパスを⑫諏訪輝夫が見事にインターセプトから、追走した⑭浜野武史に渡り、浜野が快走してのトライで14-5と突き放して試合を決めました。
 
その後もトライを加え、終わってみれば30-5。近鉄FWの頑張りもあり7トライを奪う快勝でした。
 
この日、花園では三菱自工京都が苦戦しながらも大阪府警を破り、近鉄と三菱がともに4勝1敗、トヨタが3勝1敗で優勝争いに残り、京都市役所は3勝2敗となり優勝争いから脱落しました。
 
次節は優勝をかけての三菱自工京都戦となりました。
 
続く