トヨタが関西社会人リーグに参戦した頃(昭和41年度・1966年度)

トヨタが関西社会人リーグに参戦した頃(昭和41年度・1966年度)

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52年前の今日、昭和41年(1966)10月9日、第9回を迎えた関西社会人Aリーグ近鉄ラグビー部(元近鉄ライナーズ)が24-9でトヨタ自工(トヨタ自動車工業)を破りました。この年度からトヨタ自工が関西社会人リーグに初参加、瑞穂での開催もこれが初めてでした。

 

トヨタ自工ラグビー部(現トヨタ自動車ヴェルブリッツ)は東海の雄として、全国社会人大会にも昭和24年度(1949)の第2回大会から参加している強豪ですが、それまで関西社会人Aリーグでは東海地方のチームは参加しておらず実質は近畿(京阪神)のチームで構成されていました。これは当時のチームの実力差以外にも移動距離や移動費用の問題もあったのかとも想像されます。

 

この時期の関西社会人Aリーグは近鉄をはじめ京都市役所、三菱京都、大阪府警、中部自衛隊という全国大会でも上位に行くチームで構成されていました。

 

トヨタ自工は前々年の昭和39年度(1964)の新潟国体(東京五輪の関係で6月に開催、第19回国体)で八幡製鐵を破って初優勝。翌昭和40年(1965)1月の第17回の全国社会人大会では2回目の準優勝という輝かしい躍進をしていました。

 

そのこともあってか、昭和41年度(1966)、既にB・Cリーグもあったにもかかわらず、Aリーグに参戦が許されました。

 

「全国大会や国体などでおなじみのチームがメンバーになっている名門リーグであったが、リーグに新加入するのにいきなりAリーグに入ることができたのはきわめて異例のことであった」(トヨタ自動車ラグビー50年史、P.40-P.41)

 

この昭和41年度の大分国体(第21回国体)では富士鉄釜石(現釜石シーウエイブズ)や東京三洋(現パナソニックワイルドナイツ)破って2度目の優勝を飾りました。

 

関西社会人リーグでの初試合となった、10月2日花園での京都市役所との対戦では、序盤に先制を許したものの前半15分に逆転し、更に1トライを加えて19-8とリードして前半を終了。後半もトヨタペースかと思われましたが、京都市役所のFWが優勢になり4トライを奪われ、22-31で敗れました。

 

2戦となったのが52年前の今日、昭和41年(1966)10月9日、瑞穂ラグビー場で行われた近鉄との対戦でした。

 

過去、近鉄トヨタは公式戦では昭和25年1月2日に花園での2回全国社会人大会(当時はまだ全国実業団大会という名称だった)1回戦で対戦し近鉄が27-5で勝っており、定期戦(対抗戦)でも手元の記録では昭和26年(1951年)2月に31-0、昭和28年(1953年)2月に15-3でともに近鉄が勝っており、トヨタは一度も勝っていませんでした。

 

試合は前半は双方ともにFWでつぶし合う凡戦となりました。唯一の近鉄の得点チャンスだった前半10分の右TB攻撃もインゴールでのノックオンで得点なりませんでした。

 

後半開始直後、近鉄が有利だったラインアウトからのパント攻撃で片岡と坂田が2トライを連取して8-0としましたが、今度はトヨタが相羽が3PGを決めて逆転しました。しかし近鉄は17分に鎌田の突破から伊海田がトライして逆転。19分には石塚・坂田のコンビでの突破から坂田がトライ。29分にも坂田のトライで、結局24-9で近鉄が快勝しました。

 

トヨタはこの日、SО尾崎、WTB山田などの欠場が響きました。

 

このシーズン、トヨタは残り試合、大阪府警と中部自衛隊に勝ち、三菱京都には敗れましたが、同率で3位に食い込んで初年度の関西社会人リーグを終えました。

 

そして迎えた第19回全国社会人大会では決勝まで進みましたが、再び近鉄に敗れて、3度目の準優勝となりました。

 

この年度からトヨタ自工が加入したことで関西社会人リーグは「事実上のラグビー日本リーグ」(前年度からサッカーが日本リーグを開始していた)と言われました。


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