1970(S45)年度の関西リーグ②
【三菱自工京都戦】
1970年(昭和45年)12月13日(日)関西社会人Aリーグの大詰めを迎えました。
花園では、まずトヨタが51-8で栗田に圧勝して、1敗を守ったので、次週の中部自衛隊戦で勝てば優勝決定となりました。(当時は勝敗のみの順位決定で同じ勝敗ならば同率優勝となり、トライ数などまでの順位決定はありませんでした。)
この日の近鉄のエンジンの掛かりは遅く、前半は双方1トライずつでしたがコンバートを成功させた三菱に3-5でリードを許しました。
後半も1トライを許し、近鉄は1PGのみで、6-8で三菱リードのまま終盤を迎えてしまいました。
残り3分あまりで三菱陣内中央、25ヤードライン付近まで近鉄が攻め込んだとき、近鉄がPKを得ました。近鉄ファンの多い花園で場内大歓声となりました。北側の(スタンドの無い側の)ゴールポストでした。しかも25ヤードラインより更にゴールに近い場所、角度もほとんど無いゴール正面でした。風もそんなに強く無く、誰が蹴っても簡単にPGを決められそうな場所で当然近鉄はPGを狙うと荒井レフリーに宣告しました。
それまで攻めあぐねて半ば諦めかけていたほとんどの近鉄ファンは「やっとこれで勝てる」と思い、一方、京都から初優勝の瞬間を見ようと駆けつけた三菱ファンは「これで初優勝の夢が消えた」と思いました。
しかし、キックされたボールは無情にもゴールポストを離れて行きました。明らかにミスキックになってしまったようでした。
スタンドの大多数の近鉄ファンからは「信じられない」という感じのどよめきが響きました。
(翌週、万が一トヨタが中部自衛隊に敗れれば、トヨタを含めた3チームが同率2位、三菱の単独優勝となりますがその可能性は薄く、事実、翌週トヨタは中部自衛隊を29-11、実にトライ数で6トライ対1トライの大勝でした。)
この日、家路に急ぐ近鉄ファンから「誰かええキッカーおらんかいな」などという声が聞かれました。
実は近鉄は、豊田次朗が長年プレースキックを担当して、名キッカーぶりを披露していましたが、前年度のシーズンで引退したため、このシーズンはなかなかプレースキッカーが固定できず、この日のキッカー(敢えて明記しません)も元々「本職」ではありませんでした。
翌シーズンは東洋大学から栗原進が入部、以後、彼が担当することになります。
■関西社会人リーグ・第6戦
日時: 昭和45年(1970年)12月13日(日)15:00
会場: 花園Ⅰ
前半3-5 (近鉄100) (三菱010)*
後半3-3 (近鉄001) (三菱100)*
*()内の数字はT、G、PGの順、4桁の場合は最後がDG。
主審: 荒井昭雄氏(東教大出)
近鉄メンバー:
①川崎守央(布施工高、26歳)
②永村 稔(花園高、23歳)
③黒坂敏夫(同志社大、22歳)
④小笠原博(弘前実高、27歳)
⑤原 進(東洋大、23歳)
⑥田中行正(花園高、24歳)
⑦森田 顕(天理大、26歳)
⑧石塚広治(同志社大、29歳)C
⑨今里良三(中央大、23歳)
⑩犬伏一誠(早稲田大、25歳)
⑪坂田好弘(同志社大、28歳)
⑫諏訪輝夫(布施工高、25歳)
⑬谷口竜平(布施工高、23歳)
⑭浜野武史(関西学院大、23歳)
⑮越久 守(板野高、23歳)
監督:福田 広(日本大、37歳)
三菱自工京都メンバー:
①高橋鉄次(岐阜工高、20歳)
②小俣忠彦(早稲田大、29歳)
③小林奈々雄(新潟工高、18歳)
④中島輝明(関西大、22歳)
⑤水口忠久(報徳学園高、23歳)
⑥谷村久司(黒沢尻工高、21歳)
⑧松岡 智(美馬商工高、23歳)
⑨寺本春夫(花園高、20歳)
⑩橋本光夫(新潟工高、21歳)
⑪松家徳男(貞光工高、18歳)
⑫横井 章(早稲田大、28歳)
⑬杉山洋一(盛岡工高、24歳)
⑭本多幸雄(淀川高校、20歳)
⑮川村 一(洛北高、26歳)C
監督:小俣忠彦(早稲田大、29歳)