■1968年度(昭和43年度)
★関西社会人リーグでは2シーズ連続最下位となりしたが、このシーズンはTBのテクニックとスピードが向上し、初戦の栗田工業に快勝。近鉄が全国大会前年連続優勝のため、今シーズンも2枠を事実上他の大阪の3チームで争う形でしたが初戦の栗田に勝ったことで全国大会出場権をほぼ確実にし、幸先のよいスタートでした。近鉄・三菱・トヨタには敗れましたが、4強の一角である京都市役所を11-8で破り、続く大阪府警には21-14と久しぶりの快勝でした。
関西社会人Aリーグ
・前半(中部0T,1G,0P,0D)(府警1T,1G,0P,0D)
・後半(中部2T,2G,0P,0D)(府警2T,0G,0P,0D)
・中部メンバー:FW磯和、今井、中山、今西、高見、宮本、新田、芝、HB狩谷、竹田、TB三池、伊勢、渡部、中村、FB黒田。
★第21回全国社会人大会では1回戦でリコーと対戦しました。リコーは3年前・2年前の関東社会人秋季大会で連続優勝、このシーズンも横河電機・日野自動車・東京三洋とともに関東社会人ベスト4を占める強豪。全国社会人大会でも前年八幡を破ってベスト4入りしていました。試合は前半中部は1PGのみに対してリコーに1トライ・1PGでリードされ、後半も1トライ3ゴールと圧倒されました。
第21回全国社会人大会(秩父宮)
1月2日 1回戦 中部自衛隊 ●11-22(3-6,8-16)○ リコー(東京1区)
・前半(中部0T,0G,1P,0D)(リコー1T,0G,1P,0D)
・後半(中部0T,1G,1P,0D)(リコー1T,2G,1P,0D)
・中部メンバー:FW磯和、今井、竹内、今西、高見、宮本、新田、芝、HB狩谷、竹田、TB三池、黒田、渡部、伊勢、FB末益。
■1969年度(昭和44年度)
★デュークオブウエリントン連隊に快勝
1969年(昭和44年)9月26日から10月5日までの間、東京で英国商務省および在日英国大使館の主催で英国マーガレット王女およびスノードン卿が参加されて「英国フエア」(British Week)が開催されました。このイベントにあわせて英国陸軍のデュークオブウエリントン連隊のラグビーチームが来日、東京で全慶応大、全自衛隊、全早稲田大と計3試合を行いました。
このチームは英国軍隊で毎年行われる大会である「The Army Cup」に9回も優勝しており、この当時は香港に駐留しており、その駐留直前1965年から1968年まで同大会で4連覇していました。またこの年(1969年)の3月に東京で行われた第1回アジアラグビー大会で全日本を22-20と苦しめた全香港の主力メンバーを構成した強豪でした。
当時自衛隊ラグビーは創立から約20年を経ていましたが、日本ラグビー協会の故香山蕃会長が、創立以来、永年自衛隊ラグビーに理解を示し、今回のイベントの企画までされた後に病に倒れられました。海外の軍隊チームが来日して日本の自衛隊の全国選抜チームを編成して対戦するというのは自衛隊ラグビーの歴史でも一大イベントでした。
そのメンバー15人中、実に12人が中部自衛隊から選出されました。練習は中央大や日本体育大に胸を借り、監督は満州鞍山中学(旧制)・早大第二高等学院・早大でラグビー経験のある当時陸上自衛隊東部方面総監部の宗重彦が監督を務めました。
試合は前半、全自衛隊が3ゴールに対しウエリントンはノートライ2PGに留まり15-6でハーフタイム。後半も2ゴールを挙げ、ウエリントンの反撃を2ゴール・1PGに抑えて、25-19で勝ちました。しかしかなりハードな試合で全自衛隊も負傷退場者を2名も出すという激戦でした。
日時:1969年(昭和44年)9月26日(火)19:05
会場:秩父宮ラグビー場
主審:堤 和久氏
全自衛隊 ○25-19(15-6,10-13)● デュークオブウエリントン連隊
・前半(自衛隊0T3G0P0D)(ウ連隊0T0G2P0D)
・後半(自衛隊0T2G0P0D)(ウ連隊0T2G1P0D)
・全自衛隊メンバー:FW礎和*、今井*、中山*、今西*、土居、宮本*、山崎、芝*、HB狩谷*、竹田*、TB三池*、渡部*、黒田*、伊勢*、FB伊藤、交代:新田*、山口。
(*印は中部自衛隊所属)
★この年度は上記の試合の準備もあり、夏の菅平合宿で大西鉄之助氏らの技術指導を受け、FWの平均体重が73kgと当時としては大型で、前年3勝3敗だった関西社会人リーグでの今期目標を「4勝」と定めていました。しかし、2期工事が完成した球技専用スタジアムの西京極球技場(現在の補助競技場の場所)での初戦、10月5日の三菱重工京都戦で8-49の大敗でつまづきました。
つづく10月19日の京都市役所戦(西京極)では前半6-8(トライ数2-2)で健闘しましたし、後半もトライ数2-3と食い下がりましたがコンバートとPGとの差で、12-24で敗れました。花園初登場の10月26日には近鉄に6-30と完敗。しかし11月2日の栗田工業戦は29-16と快勝しました。
11月16日は事実上全国大会出場(大阪2区)を決める大阪府警戦でしたが、前半は9-6(トライ数1-1)で健闘しましたが、後半1トライ1PGを許し、9-15で破れました。最終戦11月23日にもトヨタに14-20と善戦しましたが、リーグ戦1勝5敗。全国大会への切符も近鉄と大阪府警に譲ってしまうことになりました。
関西社会人Aリーグ
・前半(中部1T,0G,1P,0D)(府警1T,0G,2P,0D)
・後半(中部0T,0G,1P,0D)(府警1T,0G,1P,0D)
・中部メンバー:FW磯和、今井、中山、今西、高見、宮本、新田、芝、HB狩谷、竹田、TB三池、黒田、渡部、伊勢、FB末益。
■1970年度(昭和45年度)
★このシーズンでは関西社会人リーグの序盤、京都市役所・近鉄に破れましたが、第3戦の栗田工業戦には8トライを挙げて大勝し、全国大会の出場権をほぼ獲得しました。また大阪府警とも接戦を演じましたが、前半の点差が大きく8-12で敗れました。
関西社会人Aリーグ
・前半(中部0T,5G,1P,0D)(栗田0T,0G,0P,0D)
・後半(中部0T,3G,0P,0D)(栗田1T,2G,0P,0D)
・中部メンバー:FW磯和、今井、中山、今西、寒川、宮本、新田、芝、HB狩谷、竹田、TB富元、黒田、渡辺、柴、FB末益。
12月1日 1回戦 中部 ○47-6● 東北(東北)
12月3日 準決勝 中部 ○11-6● 東部(関東)
12月4日 決勝戦 中部 ○18-6● 北部(北海道)
★全国社会人大会では一昨年と同じくリコーと対戦。リコーはこのシーズン、全日本の選手や強豪大学の中心選手ら12人もの新人を補強し、春の練習試合から全国大会まで23戦全勝でした。試合のほうは残念ながら力の差が大きく0-43での大敗でした。
第23回全国社会人大会(秩父宮)
12月31日 1回戦 中部自衛隊 ●0-43(0-16,0-27)○ リコー(東京2区)
・前半(中部0T,0G,0P,0D)(リコー2T,2G,0P,0D)
・後半(中部0T,0G,0P,0D)(リコー4T,3G,0P,0D)
・中部メンバー:FW磯和、今井、中山、今西、寒川、宮本、細井、芝、HB狩谷、竹田、TB富元、黒田、渡部、柴、FB末益。
なお、この大会でリコーは勝ち進み、決勝で新日鉄釜石と引分け両者優勝となっています。
■1971年度(昭和46年度)
★前年6位に終わった関西社会人リーグでは第2戦で栗田工業に僅か1点差で破れ、以後苦しい戦いを余儀なくされるかと思いましたが、第3戦の京都市役所戦では前半を0-0で終え、後半2ゴール・1PGで京都市役所を引き離し、1968年度(昭和43年度)以来の勝利をもぎ取りました。また大阪府警にも15-12で勝ち、久々の5位(同率)に食い込みました。
関西社会人Aリーグ
・前半(中部0T,0G,0P,0D)(京都市0T,0G,0P,0D)
・後半(中部0T,2G,1P,0D)(京都市0T,1G,0P,0D)
・中部メンバー:FW石井、北山、中山、今西、吉井、宮本、柴、芝、HB東条、竹田、TB富元、町田、新田、菊地、FB末益。
★全自衛隊大会では順調に東部・直轄を破り、決勝で西部(九州)と対戦しました。試合は前半8分、中部が敵陣35ヤードでPG狙うも失敗。10分中部が敵陣25ヤードで再びPG狙うもまたも失敗。
後半7分西部陣10ヤードで西部倒れこみで中部がPG狙うも3度目の失敗でなかなか波に乗れません。ようやく13分西部陣40ヤード中央で西部がラックでのピックアップの反則で中部の芝がPGを決め3-0とします。更に17分西部陣30ヤード左のラインアウトから西部ボールをBKに回すも中部のインターセプトからトライ。ゴールは失敗したものの7-0と引き離します。
しかし、21分西部陣10ヤードのセットスクラムから西部ボールで左オープンへ展開して左隅にトライし7-4と迫ります。中部は23分西部陣前50ヤード中央で西部のオフサイドでPKを得ますがPGは失敗。その直後、西部陣25ヤードのラックから西部がドリブルとパントで前進し、中部陣前5ヤードで再度ラックからBKへ展開し中央にトライ。ゴールも成功し7-10と西部が逆転します。試合としては中部が押し、70%以上が西部陣内でプレーされた試合でしたが、西部が少ないチャンスをモノにして優勝しました。
12月13日 1回戦 中部 ○9-4● 東部(関東)
12月15日 準決勝 中部 ○10-6● 直轄
12月17日 決勝戦 中部 ●7-10○ 西部(九州)
★花園での全国社会人大会では大阪2区で中部としては5回目の出場。1回戦は前年リコーと優勝を分け合った新日鉄釜石でした。しかし中部は前半から激しい出足で釜石は受身になってしまい前半を12-12の同点でハーフタイムを迎えました。しかし後半落ち着きを取り戻した釜石に盛り返され2PGを許し12-18で敗れました。
第23回全国社会人大会(花園)
・前半(中部0T,2G,0P,0D)(釜石0T,2G,0P,0D)
・後半(中部0T,0G,0P,0D)(釜石0T,0G,2P,0D)
・中部メンバー:FW石井、北山、中山、今西、大野、宮本、新田、芝、HB東条、竹田、TB菊地、黒田、渡部、柴、FB末益。
■1972年度(昭和47年度)
★結果的にこのシーズンが中部自衛隊としては最後のシーズンとなりました。三菱、近鉄に破れ、強化を図った栗田工業にも0-36で敗れます。さらトヨタにも完封負けを喫しますが、前年に続き大阪府警を39-20で破ります。
・前半(中部0T,0G,0P,0D)(近鉄2T,9G,0P,0D)
・後半(中部0T,1G,0P,0D)(近鉄1T,7G,0P,0D)
・中部メンバー:FW石井、山下、中山、今西、大野、宮本、芝、吉井、HB東条、吉川、TB藤井、黒田、渡部、田村、FB柴。
つづく