第1回全国大会決勝:近鉄3-57配炭公団 昭和24年(1949年)2月27日

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初代の社会人チーム日本一を決める第1回全国実業団大会の決勝は、1回戦の2日後、昭和24年(1949年)2月27日(日)に東京ラグビー場(現秩父宮ラグビー場)で行われました。
 
配炭公団とは戦後、黒いダイヤといわれた石炭の配給をする公団として昭和22年3月に設立されましたが、出炭目標が達成された昭和24年9月、即ちこの試合の7ヵ月後には解散されました。
 
この配炭公団のメンバーは強力で、明治大の新島清や安武恒夫、藤、西郷、立教大の牧、浦田、さらに戦前・戦中の社会人最強チーム鮮鉄から富永、濱田が居ました。その他の部員も全員がラグビー経験者でした。
 
対する近鉄は同じく鮮鉄の柘植、樋口、日本大の大江、早稲田大の今村、立命出身で後年天理高校ラグビー部を立て直す坂本、東京大の前田などが居ましたが、レギュラーの半数はラグビー近鉄で初めてという他競技経験者でした。
 
さらに2日前の1回戦では配炭公団は東北肥料の棄権で不戦勝、一方の近鉄はグランドコンディション最悪の中で関東の雄、東芝(東京芝浦)と接戦を演じ、近鉄選手の消耗度は大きく、大きなハンディキャップが近鉄にはありました。
 
そのような状況でも試合のほうは、近鉄の出足が良く先制トライを奪いました。
 
動きも結構良かったのですが、前半17分にスクラムハーフの大江がタックルで右足を痛めました。キープレーヤーの負傷の影響は大きく、その後、劣勢に回り、前半だけ4トライを奪われました。
 
後半になると近鉄疲労の色が出て、更に劣勢は続き、スクラムサイドを突かれFWを完全に制圧され、後半だけで7トライを許して大敗しました。
 
試合後は両チームに縁のある知葉友雄氏(明治大OB、鮮鉄出身、日大監督、後の日本代表監督)の招待で、両チーム合同の打ち上げ会が催されました。
 
なお余談ですが、9ヵ月後に配炭公団が解散になってからは選手たちは九州配電(現九州電力)や、三井化学に移ってゆきました。
 
■第1回全国実業団大会本大会・決勝
日時: 昭和24年(1949年)2月27日(日)14時
会場: 東京ラグビー
 
結果: 近鉄近畿日本鉄道) ●3-57 配炭公団
 前半3-16 (近鉄100) (配炭220)*
 後半0-41 (近鉄000) (配炭270)*
 *()内の数字はT、G、PGの順、4桁の場合は最後がDG。
 
主審: 伊藤氏
 
近鉄メンバー
黒田鎌雄(日新商)
木下勝康(城東工)
上辻喜之次(日新商)
④吉田喜一(不詳)
服部正一(城東工)
柘植平内(京城商、鮮鉄)
前田哲郎(東京大)
⑧青山正弘(京一商)
大江賀寿雄(日本大)
坂本正治立命専門)
中島悦三(浪華商)
⑫樋口政一(京城商、鮮鉄)
⑬今村宣彦(早稲田大)
奥田精男(磯城農)
大谷 明(海兵)
 
配炭公団メンバー
①西郷
②大塩
③藤島
④今井
⑤伊勢
⑥松村
⑦新島
⑧加勢田
⑨安武
⑩富永
⑪満田
⑫池田
⑬白水
⑭牧
⑮藤