昭和5年に美吉野で神戸二中と対戦
神戸二中(旧制中学、現兵庫高校)と言えば神戸一中(旧制、現神戸高校)と並び神戸の名門の中学で、ラグビー界では全国大会準優勝が1回、ベスト4が4回という名門です。神戸二中のOBチーム「武陽ラガー」も有名です。
▽対大軌電車戦(9月24日・美吉野)
神戸二中 12-9 大軌電車
また会場である「美吉野」はこれは大正末期に「吉野鉄道」が現在の奈良県吉野郡吉野町に作った「美吉野運動競技場」の陸上競技場だと思われます。吉野鉄道は昭和4年(1929)8月に大軌と合併して大軌グループの所有となっているのでこの会場を使ったと思われます。ただ、昭和5年当時は既に花園ラグビー場が開場していましたし、神戸のチームと対戦するのですから神戸からかなり遠い美吉野で試合を行ったのかが不明です。
神戸二中ラグビー部の創部は昭和4年(1929)ですが、前年の昭和3年(1928)には卒業生で大学などでラグビーを経験した脇肇(慶応大出、関西ラグビー倶楽部発起人の一人、後の慶応大監督)、沢田健一(東大)、合田夷(京大)の三氏らが母校でラグビーの紹介。それに理解を示した教員の小川重吉氏が中心となってラグビー部創部のきっかけを作っています。
この沢田健一氏は名古屋の藤本ビルブローカーに勤務し名古屋ラグビーでも活躍中に大軌が花園ラグビー場建設を決定してから建築とフィールドの主任責任者としてスカウトされて大軌に入社。また合田夷氏は大毎(大阪毎日新聞)ラグビー部で活躍の後、昭和5年(1930)1月に大軌に入社しました。
多分その関係から神戸二中との試合が実現したものと想像できます。
試合内容の詳細は不明ですが、「武陽ラガー五十年のあゆみ」での試合記録によると神戸二中の創部2年目の秋のシーズン4試合目の試合でした。これ以降大軌との対戦記録は同書では見つけられませんでしたが、ОBチームである武陽ラガーとは昭和9年(1934年)4月3日に対戦記録が「近鉄ラグビー部50年史」にあります。(大軌3-41武陽ラガー)
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(昭和5年度(1930年度)の神戸二中ラグビー部)