昭和初期の戦跡を新たに発見
近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)の創立の時代、つまり昭和初期の大軌(大阪電気軌道)ラグビー部の試合記録では「近鉄ラグビー部50年史」に記載のある昭和6年(1931年)3月の名古屋遠征が一番古いものですが、先日の記事、「関西実業団ラグビー発祥の頃(1)」で述べたように、最初の試合として昭和4年(1929年)1月20日の大毎Bチームだということを発見しました。
それは「野球界」19巻6号(昭和4年5月)P.81に
「東洋第一のラグビー専用グランドを作る大軌電車も続いて産声を上げた。此処は東大出の澤田君を主将として関大の東君等若いはち切れさうなラガーがいる。大毎に出来たBチームに先ず最初に試合を申込んだ。大毎ではA組からカバーして戦ひ、惜しくも六対三で大軌は破れたが大阪商大のコーチでめきめき腕を磨いている。」
と記されています。
これを発見する少し前には「関西ラグビー倶楽部20年史」で同チームとの対戦記録を3試合ほど発見しました。
■昭和4年(1929年)
・対抗戦 1月20日(日) 寝屋川 ●3-6 大毎B (野球界19(4)P.150運動界總まくり)
・対抗戦 1月27日(日) 寝屋川 ○6-3 浪華商業 (野球界19(4)P.150運動界總まくり)
■昭和5年(1930年)
・対抗戦 9月28日(日) 花園 ●8-26 天理中学 (天理中学・蹴球十年史 P.76-77)
■昭和6年(1931年)
・対抗戦 11月23日(月祝) 花園 ●0-39 天理中学 (天理中学・蹴球十年史 P.98-99)
■昭和8年(1933年)
「近鉄ラグビー部50年史」での戦跡は編纂委員の方々がОB・関係者・社内報などの助けを借りて総力を挙げて調査されて1981年に発行されましたが、もっと古い資料を収集されていたОBが居られたが伊勢湾台風で流されたと編集後記にも述べられています。
従って「50年史」での戦跡がすべてではないことは明白ながら、それが分からぬままとなっていました。
今回、「50年史」より古い戦跡が多数見つかり、自分としては「世紀の大発見」だと思っています。考古学者が大遺跡を発見したようなものだと自己満足しています。(笑)
よくよく考えると、当時活動していたチームの年史などの書物をもっと調べると近鉄(大軌)との対戦があるかもしれません。
また「野球界」は当時の雑誌ですが、野球のみならず一般スポーツの記事や記録もあるようなので、今回調べた号以外にも載っている可能性も充分あると思います。当時の新聞記事を探してゆくのも方法だと思っています。
ただし結構労力の要する調査ですので、すこしずつ調べてゆくしかないようです。