天王寺中学との対戦
大軌(大阪電気軌道・大軌電車、現近鉄ラグビー部・近鉄ライナーズ)が、昭和初期(戦前)に同じ大阪の天王寺中学(旧制中学、現天王寺高校)や北野中学(旧制中学、現北野高校)と対戦記録がないのですが、以前から「本当に対戦していないのか?」が疑問でした。
当時のラグビー事情を考えれば、このふたつの名門と大軌では力の差があり過ぎて対戦していないのか、しかしまだまだチーム数が少なく力の差があっても身近な大阪のチームと試合しないはずはないなど、色々と考えを巡らしておりました。
これは「天中ラグビー部誌第2号(昭和8年7月発行)」からの抜粋のようです。
「試合成績及び本シーズンのスケヅュール」の項で「ОBは今日まで戦ふ事六度一度として敗をとらず全勝のベストスコアを残して居ります。」という説明の後、期日場所は不明ながら、「天中ОB 九―八 大軌電車」という記載があります。
中学現役ではなくОBチームとは対戦があった模様です。
時期的には昭和8年の前半だと思われますが、対戦予定のほうに翌年(昭和9年)の4月15日に同じく天王寺中学ОBチームと対戦となっているため、この年も同じ頃に対戦したのではないかと思われます。(当時は毎年同じ頃に対戦する習慣がありました)
さて、この当時の天王寺中学は既に、大正14年1月の第8回大会、昭和3年1月の第10回大会の全国大会で準優勝するという強豪であり、この大軌戦の前にも当時社会人の強豪であった大毎(大阪毎日新聞)に51-3で大勝しています。
大軌も昭和11年の大阪実業団大会では優勝することになるのですが、何と言っても昭和8年当時の天王寺中学に1点差の勝負であったことは惜敗と言えると思います。
なお、翌昭和9年4月15日に対戦予定となっている天王寺中学ОB対大軌電車戦の結果は不明です。
(「桃陰ラガー半世紀の記」より)
(大正15年3月卒業の天王寺中学部員)