昭和6年の天理中学戦

昭和6年の天理中学戦
 
前年の初対戦に続いて翌年昭和6年(1931年)にも旧制天理中学(現天理高)と大軌(現近鉄ライナーズ近鉄ラグビー部)が対戦しています。
 
此の時は天理中学は既に全国中等学校のナンバー2でした。
一方の大軌はようやく正式な創部から2年で3月には名古屋遠征を敢行するも名古屋クラブと三菱航空に大敗。大阪実業団大会でも三井物産に勝つも、大鉄局に破れ、まだまだ強化が進んでいなかったようです。
 
この天理中学との試合も同校ラグビー部の10年史「蹴球十年」という書籍に対戦記録があります。
 
昭和6年(1931年)11月23日(月祝)の花園での試合でした。
天理は渡辺喜禮主将、玉垣宗二副将の時代でした。
 
以下、そのまま引用します:
(読み易いように改行や算用数字・現代漢字に変えています。天理側での戦記ですから味方が天理、敵が大軌です。)
 
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本校対大軌(11月23日 於花園)
レフェリー 花田氏
 
本校 39-0 大軌
(16-0)
  (23-0)
 
 天理キックオフ直後のルーズよりTBパスにて原田独走トライ、ゴール成る。続いてルーズより竹内抜いて20ヤード独走し、玉垣にパス、中央にトライ、ゴール成る。
敵は往年の名手揃いとはいえ、愛校心に燃ゆる我等に敵し得ず、監見、渡邊等続けてトライを成し、16対0と我が軍にリードされ前半終わり、後半に入りては敵疲労して戦意無く我が軍の蹂躙にまかせ又々23点と大量の得点を成す。
 
大軌
FW大島、永瀧、高橋、清水、西村、井上、木田、藤田、HB東、澤田、TB鍵田、合田、大北、勝田、FB伊部
 

    天理メンバーは記載なし。

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この大軌のメンバーを見ると、大毎に居た合田夷(京大で全国制覇)が既に大軌に加入して出場していますし、東茂(後の森本茂、関大出)、澤田健一(沢田健一、東大出)らも出場していますので、天理側に言わせると「敵は往年の名手揃い」ということになるのでしょうが、まだ当時は練習も週に一、二回だったようで、若い天理中学にすっかり走り負けていたようです。
 
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(昭和6年頃の大軌電車の広告)