花園ラグビー場スコアボードの変遷

花園ラグビー場スコアボードの変遷
 
以前から近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)や花園ラグビー場の古い写真を見た際に、違ったタイプのスコアボード(得点板)が時代の変遷に従って存在していたことが気になっておりました。
 
つい最近、花園の改修工事中で、スコアボード(電光掲示板)がショベルカーで潰されているという衝撃的な写真が新聞に載ったそうです。
 
今回、自分が調べられる範囲で、花園ラグビー場のスコアボードの変遷を追ってみたいと思います。
 
■戦前初代
近鉄が大軌(大阪電気軌道)時代に竣工した花園ラグビー場。その撮影の日時は不明ですが、竣工した昭和4年(1929)の写真として、よく見られるのが次の写真です。
 
イメージ 1
昭和4年(1929):開場年度(「近畿日本鉄道100年のあゆみ」p97)
 
この写真の左側にバックスタンド中央と思われるスコアボードのようなものが見えます。
しかしあまりに遠く詳細が分かりません。
 
さらに次の写真ではかなり大きな横長タイプのスコアボードであることが分かります。
イメージ 2
昭和4年(1929)11月22日:開場記念試合(「日本ラグビー史」p225)
 
最後に、同年11月23日の大阪朝日新聞でこの開場記念試合を報じる記事の写真ですが、多分、得点の種類(T・G・PG・DG)は表示できたであろうと思われます。
イメージ 3
昭和4年(1929)11月22日:開場記念試合(「近鉄ラグビー50年史」P126)
 
また次の写真により昭和6年にもまだこのスコアボードだったことが分かります。
イメージ 4
昭和6年(1931)1月8日同大対慶大(「同志社ラグビー70年史」p62)
 
■戦前2代目
しかし昭和11年度の写真では両軍の合計得点だけの簡易的なスコアボートになっています。
つまり昭和6年から昭和11年の間に初代が取り壊され、簡易な2代目になったと思われます。
中央上部の大時計は初代のスコアボードの大時計と同じものを流用したのかもしれません。
 
あまりの変わり様ですが、昭和6年は満州事変の年であり、昭和12年は日中戦争ですので後の時代に大鉄傘が取られてしまったように鉄の接収、あるいは余暇であるスポーツに「こんな豪華な得点板は不要だ」と取り壊し命令でも出たのかもしれません。
 
イメージ 5
昭和11年(1936)11月1日:ニュージーランド学生選抜来日(「関西協会史」巻頭写真ページP5)
 
この2代目を大きく写したのが昭和12年の次の写真です。
イメージ 6
 
昭和15年3月の段階でもこの簡易タイプでした。
イメージ 7
昭和15年(1940)3月7日大阪実業団決勝:大軌対大鉄局(「近鉄ラグビー部50年史」p21)

===追記===
昭和16年の天王寺中学対北野中学戦でのスコアボード
イメージ 20
「桃陰ラガー半世紀の記」(1976) P.121(天王寺高校ラグビー部ОBの記念誌)
===(以上2017年9月10日追記)===
 
■戦後初代:
戦後は次の昭和28年の写真が手元の資料では一番古いのですが、位置はバックスタンドほぼ中央、縦長で、得点詳細(T・G・PG・DG)を表示できる豪華なスコアボートになっています。
 
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昭和28年(1953)1月3日:同大対早大(「同志社ラグビー70年史」p108)
 
イメージ 9
昭和30年(1955)1月3日:同大対早大(「同志社ラグビー70年史」p110)
 
更に次の写真では比較的詳細が分かります。上記のように得点の種類が表示出来ることが分かります。

イメージ 10
昭和31年(1956)1月2日第8回全国大会:近鉄対日鉱船川(近鉄ラグビー50年史p84)
 
昭和32年11月の段階での次の写真でも、半分切れていますが右にこのスコアボードが見えます。手元の資料ではこのタイプのスコアボードはこれが最後です。
イメージ 11
昭和32年(1957)12月18日:同大対明大(「同志社ラグビー70年史」p117)
 
■戦後2代目:
しかし同じシーズンである昭和33年1月の次の写真では、バックスタンド中央に横長で、前後半と合計スコアのみのスコアボードが出現しています。
所謂シンプル版です。

年末の僅かの間に交換した可能性があります。(この頃はまだ高校ラグビーは花園で行って居ませんでした。)
 
イメージ 12
昭和33年(1958)1月8日第10回全国大会決勝:近鉄京都市役所(「全国社会人ラグビー大会50年史」p83)
 
また昭和35年1月の次の写真でも同じスコアボードのようです。
イメージ 13
昭和35年(1960)1月8日第12回全国大会決勝近鉄対八幡(近鉄ラグビー50年史p120)
 
このタイプのスコアボードが私が子供の頃から慣れ親しんだスコアボードで、昭和54年(1979)まで続きました。
 
■戦後3代目
昭和54年(1979)のラグビー場改修時に北側サイドスタンドにスコアボードが新設されました。ゴルフ打ちっぱなしの場所です。
 
特徴は非常に大きな横長で、上部に楕円形の時計と試合時間計があり、ボード本体の左右には選手名を表示できるようにしましたが、鉄板に石灰かペンキで書いていた「板交換式」でした。
 
イメージ 21

平成元年(1989)10月22日花園60周年記念試合:近鉄対三洋「近鉄ラグビー部70年史」p47
 
■戦後4代目
平成4年(1992)に近鉄近畿日本鉄道)は花園を全面改装します。
同じ北側サイドスタンドに同じサイズ程度の横長スコアボードにしますが、上部の楕円形時計は無くなり本体に組み入れられます。
 
イメージ 14
平成11年(1999)5月23日花園70周年記念試合:近鉄対三洋(「近鉄ラグビー部70年史」p69)
 
「板交換式」ではなく一見「電光掲示板」のように見えます。
ただしこの段階では選手名などは「電光掲示」というより文字の変更が非常にゆっくりで、見づらいものでした。
多分これは「磁気反転式」だったと思われます。

なお、この時はチーム名とチーム名の間に「VS」という文字が固定で書かれており、今回解体される前まで使用された「チーム名の欄を長い電光掲示にして文章や他開場の試合経過を流れるように表示させる」ことは出来ませんでした。
更に細かいことですが中央下部の得点の種類は白線で仕切られていました。
 
■戦後5代目
2005年度シーズンよりスコアボードが一新されました。
ボードそのものは変わりませんが、中央上部の両チーム名が一つの長い電光板になり、「チーム名の欄を長い電光掲示にして文章や他開場の試合経過を流れるように表示させる」ことができるようになりました。

選手名も「電光掲示」となり見やすく、一瞬のうちに文字が変わるようになりました。
更に中央下部の得点の種類の白枠は無くなりました。
 
但し、この段階では正面左の試合時間計はまだアナログのままです。(今回解体されたスコアボードにはそのアナログの試合時間計の下に試合時間のデジタル表示がついていました。)
 
調べてみると、2007年度のトップウエスト優勝決定戦:近鉄対ワールド(重光のサヨナラPGで勝った試合)では、まだこの試合時間のデジタル表示は存在せず、2008年度の近鉄トップリーグ復帰のシーズンから試合時間デジタル表示がデビューしました。
 
イメージ 15
2008年1月13日:トップウエスト優勝決定戦:近鉄対ワールド
「ヤギさんのブログ」 http://yote.blog46.fc2.com/blog-entry-1054.html
 
イメージ 16
2017年1月18日:トップリーグ入替戦:近鉄対九電(改修開始直前)
 
パナソニックの技術
最後に、花園ラグビー場のスコアボードの制御はどうしているのでしょうか? 当然、本部席などのメインスタンド側でコントロールしている筈なのですが、パナソニックのスコアボードシステムのカタログ(以前のもの)に戦後5代目のメッセージを流せるスコアボードの制御システムが紹介されていました。

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かつての国立競技場の電光掲示板には「FUJITSU」と隅に書いてありましたが、花園の電光掲示には「PANASONIC」とも入らず、一般客にはどこのメーカーか分かりませんでした。ラグビーファミリーのパナソニックの心遣いだったのでしょうか。
 
さて、改修中の花園の完成予想図は次のようなものだそうです。
イメージ 19

当然、ヴィションと呼ばれる映像を表示されるモダンなものになるでしょう。
増設された北側サイドスタンドの電光掲示板で、是非「近鉄ライナーズ優勝」という表示が見たいものです。

おわり