花園でサッカーやったのはセレッソだけではありません
近鉄ラグビー部や花園ラグビー場の歴史をインターネット上に残したいという思いの一環から、ウィキペディアにも以前から「近鉄ライナーズ」や「花園ラグビー場」の項目に書き込んでいるのですが、気になっていた1999年のサッカーJリーグのセレッソ大阪対名古屋グランパスエイトについて他の方が書かれた「現時点でラグビー以外の試合が行われたのはこの試合のみである。」という部分をやっと本日修正し、これ以前からサッカーなどの開催実績があることを記入しました。
これは書かれた方の思い込み、あるいは「Jリーグでは初めて」を思い違いされたものと思います。例え当時のメディアが「ラグビー以外では初めて」と報道したとしても、明らかな間違いです。ところがこれを元に二次的にネット上にそう書き込んでいる人も居ます。
■1935年(昭和10年)4月:大毎主催の全国中等学校招待蹴球(サッカー)大会は4月27日から3日間大軌花園競技場で挙行、参加8校。(運動年鑑昭和11年版P.260)なお、この大会は「全国中等学校蹴球大会」とは別の招待大会で、前年は8月に甲子園南で行われています。
■1937年(昭和12年)5月:全日本蹴球(サッカー)選手権大会関西地方予選会は5月2日から3日間花園競技場で挙行、大阪クラブが優勝した。(運動年鑑昭和13年版P.247)。
■1940(昭和15年)6月:紀元二千六百年奉祝東亜競技大会・関西大会が6月16日花園競技場で開催。ラグビーの部:満州17-5(前半11-5)日本、ホッケーの部:全関西選抜軍2-1在留外人、神戸外人女子1-0羽衣高女。(運動年鑑昭和16年版P27)なお、同じ日にラグビーとホッケーが行われているため、第1~第3グラウンドに分けて行われた可能性があります。
■1941(昭和16年) 5月・6月:関西学生連盟戦(サッカー)春季大会は5月4日から6月1日までの間に毎日曜、花園競技場で挙行、関西学院大学が優勝した。(運動年鑑昭和17版P.158) なお、翌年は他の会場で開催。
■1945(昭和20年) 10月4日 花園が進駐軍(米軍第98師団)に接収され、アメリカンフットボール場となる。接収解除は1949(昭和24年)6月3日。(近鉄ラグビー部50年史)
■1952年(昭和27年)6月:サッカーの全香港対全大阪の試合が行われる。(大阪体育協会五十年史P209)
以上の記録が必ずしも第一グラウンドとは限りませんが、上の写真(全香港対全大阪)は明らかに第1Gですし、現在行われている少年サッカーは試合数が多く第1Gからトライスタジアムまで使用することもあります。
セレッソ対グランパスの頃は、殆どサッカーには貸していない時代でしたので冒頭のような間違った記述がウィキペディアに載っていたのだと思いますが、ラグビーを優先しつつ決して他のスポーツの会場にすることに拒否反応を示す必要もないと思います。重要なのは「花園ラグビー場を有効活用してゆく」ことだと思います。