ウシトラと革製のポイント
「ウシトラ」はラグビー用品メーカーのコンバート社の旧社名です。懐かしい、あの京橋のウシトラです。
このウシトラについて「大阪ラグビーフットボール協会史」P.21に面白いことが書かれています。
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■英国チームの靴修理からネジ式ポイント
司会:外国チームとの交流で、何か思い出のようなことはありますか。
丸岡:昭和27年にケンブリッヂ、28年にオックスフォードが来て、中之島の新大阪ホテルに泊まってもらい・・・(中略)・・・あの頃、日本のスパイクシューズのポイントは革を積み上げて打ち付けるものでしたが、彼らのはアルミか何かでできたネジ込み式のスマートなものでした。
林田:革のポイントは合宿などで靴底から釘の先が出てきて、大変でしたね。
丸岡:ええ。ところが、英国チームの誰かのスパイクがネジの部分が折れて取れなくなった。それで何とかできないかといってきたのですが、こっちはそんなもの見たこともありません。どうしたものかとウシトラの浅川社長を呼んで見せると、もう間に合わないからと、とりあえず革の積み上げ式で修理してくれたんです。まあ感謝されまして、それはそれで良かったのですが、浅川さんがその折れたポイントをもらって帰って、あの方式を自分で作った。日本で、ネジ込み式ができたのはあれからなんですよ。
中島:あの社長は研究熱心でしたからね。
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ネジ込み式というのは「screw-in studs(スクリューインスタッズ)」というものでポイント(スタッド)の取替式のスパイクのことですが、これが上記のような事情で日本で作ったのがウシトラが最初だったようです。
この取替式スパイクはアディダス社が1954年(昭和29年)にサッカー西ドイツ代表に提供して、その年のサッカーワールドカップでドロドロのグランドでも効果を発揮し西ドイツの優勝に大きく貢献したと言われますが、その数年前に来日したケンブリッジ大学やオックスフォード大学のラグビーチームが使用していたということは当時既に英国ラグビー界では出回っていたようです。
このウシトラの開発により多分1955年(昭和30年)頃から急激に日本で普及していったものと思われます。ウシトラはサッカースパイクも作っていたので日本のサッカー界でも普及していったのだと思います。
さて、それ以前の「革を積み上げて打ち付ける」ポイントというのはどのようなものだったのでしょうか。
(↑ウシトラ製革積ポイントのスパイク)
(↑ウシトラの1980年代前半の広告)
このように、コイン状に切り抜いた革を何重にも積み上げて3本ほどの釘を靴底に打ち付けて、ポイントの周りを台形にカットしたものでした。
このような革積ポイントに比べ、スクリューインの取替えが効き、しかも金属製(アルミ製)となると格段にポイントの寿命が延び、急速に普及したのも納得できます。
ウシトラのほうは1970年代頃から「CONVERT」というブランドを商品に付け、その後そちらのほうが有名となったからか、名前がモダンだったのか、1986年には社名自身を株式会社コンバートと変更し、その後本社まで東京へ移してしまいました。
残念ながら2010年4月に株式会社コンバートは会社としては倒産してしまったようですが、現在でも花園ラグビー場内のショップにはCONVERTブランドの商品は置いていますし、ラグビー場から東花園駅へ向かう途中の右側には「ラグビーショップCONVERT」があります。しかし現在は海外ブランドなどに押されシェアはかつて程ではないようです。
スクールウォーズ世代まではウシトラを知って居られる方が多いと思いますが、それ以降の世代はコンバートとして知られていると思います。
(↑1958年1月第10回全国社会人大会プログラムでの広告)
(↑1962年1月第14回全国社会人大会プログラムでの広告)
(↑1970年1月第22回全国社会人大会プログラムでの広告)
(↑1972年1月第24回全国社会人大会プログラムでの広告)
(↑1975年9月日本協会機関誌VOL25-1での広告)
(↑1977年4月号ラグビーマガジンでの広告)
(↑1981年7月号ラグビーマガジンでの広告)
(↑1984年10月号月刊RUGGERでの広告)
(↑1985年6月号月刊RUGGERでの広告)