先日、BSジャパン(テレビ東京・テレビ大阪・日経新聞系列の衛星放送)の「テレビ私の履歴書」という番組で東芝の岡村正相談役を特集していました。計4回のシリーズの第1回で、ご存知日本経済新聞の「私の履歴書」のテレビ版です。
誤解している人も多いですが、現在のトップリーグの東芝チームは、昔の東芝チームとは違います。現在のチームは府中事業所のチームで、どちらかといえば昔は川崎市のチームのほうが有名でした。その後、東芝府中に有力選手を集中して現在のトップリーグ所属の「東芝」となっています。(「日比野弘の日本ラグビー全史」でも明確に昔の東芝と区別しています。
東芝という企業の発祥は「東京電気」と「芝浦製作所」の合体で、「東京芝浦」=東芝と呼ばれ、先日書きました社会人(実業団)ラグビーの発祥の時代、大正末期に、東京電気でラグビーが始まったのが発祥の一つです。
昔から関東では強豪で、戦後の第1回全国社会人大会で近鉄とも対戦しており、第2回国体(金沢)でも共に出場していて、近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)とも縁のあるチームですから一度、体系的にまとめてブログに書こうとしていましたが、まだ途中のままです。
岡村さんが所属されたのは、「全東芝」だそうで、この当時(昭和30年代)は府中や川崎、東芝トランジスタや東芝タービンなど様々な事業所にラグビー部があり、その中で選抜チームを作ったのが「全東芝」だと思われます。(関西の川崎重工の「全川崎」と同じような感じです。)
ですから、当時弱かった東京大出身ですが、優秀な選手であったと想像されます。
関東の社会人チームといえば、警視庁、谷藤機械、横河電機を思い浮かべます。その後のリコーや東京三洋、釜石などの台頭後、現在に至ります。
関東の社会人(実業団)ラグビーの歴史もインターネットではあまりヒットしませんので、自身の課題にに加えて一度まとめてみたいと思っています。
↑昭和42年(1967)1月第19回全国社会人大会のプログラムでの関東社会人連盟の広告