近鉄10-7リコー(1975.01.08)

近鉄10-7リコー(1975.01.08)
 
1975年(昭和50年)1月8日の第27回全国社会人大会決勝です。
この試合も近鉄ラグビー(近鉄ライナーズ)の伝説の名勝負のひとつです。
 
前年度のシーズンの全国社会人大会決勝でリコーに3-4で惜敗して優勝を逃して、満を持して臨んだ1974年度(昭和49年度)は「打倒リコー」を合言葉にそれまでない練習を重ねました。
 
このシーズンは11月にスリランカでの第4回アジア選手権があり、原進、黒坂敏夫、今里良三、吉田正雄、栗原進が参加。関西社会人リーグが佳境に入った11月は丸々5人の主力を欠きながらもトヨタ戦の大逆転勝利などの踏ん張り、5人が戻って京都市役所・三菱自工京都にも快勝し、6戦全勝で4年連続15回目の優勝を果たしました。
 
しかし第27回全国社会人大会に入ると、1回戦は東京三洋に18-15で辛勝、2回戦でも新日鉄八幡に苦しめられ後半28分のトライでようやく15-6で逃げ切りました。更に準決勝でも新日鉄釜石に苦しめられ前半を3-14で折り返し、ようやく後半、坂田と吉田のトライで同点に追いつき、最終的には14-14の引分け、抽選勝ちでの決勝進出でした。
 
一方のリコーは貫禄を見せ、1・2回戦を40-9栗田、60-3三井精機の圧勝。準決勝でも24-10でトヨタを破っての磐石の決勝進出で、「リコー時代到来か」という論調まで出ていました。
 
1月6日の準決勝(リコー対トヨタ近鉄対釜石)は、私は学校の部活で見に行けませんで、花園から帰宅した父に結果を聞くと「アカンわ、引分けや」との返答。こちらがリアクションに困っていると「抽選勝ちや」と教えられ、私は純粋に決勝進出を喜びました。しかし父は非常に悲観していました。
 
準決勝の結果を報じる翌日の新聞や、決勝当日の新聞では、実力は互角とは言われながらも、この大会に入ってからの近鉄の調子は良くなく、カギになるであろうFW戦で近鉄はベストメンバーから数人の負傷者がいること、FWとバックスの連携がチグハクなどと指摘されていました。
 
決勝の前夜の雨でグラウンドコンディションは非常に悪く、当日の天気はくもりでしたが、どろんこの試合になるのは明白でした。
 
発表されたメンバーは次の通りでした。
 
近鉄メンバー:
①吉井隆憲(174cm 80kg 追手門学院高 22歳)
②黒坂敏夫(171cm 79kg 同志社大 27歳)
③原  進(179cm 88kg 東洋大 27歳)
④小笠原博(184cm 92kg 弘前実業高 31歳)
⑤首藤幸一(183cm 82kg 北九州工専 21歳)
下司光男(182cm 75kg 志摩高 22歳)
⑦笠井宏裕(181cm 90kg 和歌山工高 20歳)
⑧吉野一仁(181cm 90kg 大阪経済大 25歳)
⑨今里良三(162cm 62kg 中央大 27歳)cap
⑩上村和弘(172cm 65kg 天理高 22歳)
⑪坂田好弘(169cm 72kg 同志社大 32歳)
⑫栗原 進(170cm 69kg 東洋大 26歳)
吉田正(170cm 74kg 法政大 22歳)
⑭浜野武史(170cm 70kg 関西学院大 27歳)
⑮越久 守(170cm 65kg 板野高 26歳)
監督:大久保吉則(法政大 33歳)
 
前年度第26回決勝と違うところはFWのポジションはいじっていますが、選手で言うと川口に変わり笠井が出ていることだけです。今大会に入ってからはほぼ固定されたメンバーでした。
 
リコーメンバー
①佐藤鉄三郎(174cm 74kg 法政大 27歳)
②後川光夫(166cm 80kg 早稲田大 29歳)cap
③広田 実(174cm 84kg 日本体育大 24歳)
④豊田 茂(181cm 87kg 中央大 25歳)
⑤寺元敏雄(178cm 84kg 法政大 26歳)
⑥大坪重雄(168cm 68kg 同志社大 28歳)
⑦内田昌裕(179cm 77kg 中央大 29歳)
⑧村田義弘(185cm 78kg 中央大 27歳)
⑨竹谷 満(168cm 67kg 専修大 27歳)
⑩藤田康和(177cm 74kg 早稲田大 26歳)
⑪水野久光(178cm 70kg 西陵商高 23歳)
⑫小田木透(168cm 68kg 日本体育大 27歳)
伊藤忠(172cm 75kg 法政大 33歳)
⑭平木明生(170cm 72kg 愛媛大 25歳)
⑮山本 巌(171cm 68kg 早稲田大 27歳)
監督:石田 昇(京王高 33歳)
 
リコーのほうは前年度決勝と違うところは板垣・川崎・有賀・水谷に変わり広田・寺元・水野・小田木が出ていること。特にFWは大型選手を入れて重量化していました。このあたりもFWが若干リコー優位かと言われた所以でした。
 
近鉄のキックオフで始まった試合は最初から近鉄が優勢に試合を進めました。それまでのもたついた試合の入りではなく、前半は殆ど相手陣内で試合を進めました。
 
FWの出足は早く、上村のパントキック(ボックスキック)への反応もよくブレークダウンからボールが良く出ました。近鉄はあえてカギと言われたFW戦にひたすら挑み、鉄壁の守備を誇るリコーも自陣に釘付けになるほど近鉄が押しました。
 
15分にはリコーハッキングで栗原がPGを決めて先制。28分にも上村のパントからFWが殺到しラックからリコーバックスのオフサイドで、再び栗原がPGを決めて6-0で前半を終了。
 
後半、リコーがようやく持ち直し、7分に上村へのチャージから、近鉄FB越久のノットリリースザボール。リコーの集まりも早く仕方ない反則でした。リコー山本がPGを決めて6-3と迫ります。
 
しかし近鉄は失点をものともせず、リコー陣内で優勢に試合を進めます。10分頃にはゴールラインまで数センチと言うところまで攻め込みます。
 
14分には、それまで近鉄は殆どTBへ展開しなかったのですが、この時は右オープンへ展開しました。しかしつぶされたボールを引っ掛けられ、近鉄陣にボールが転がり、ボールを取った越久もすぐに殺到してきたリコー選手達に潰され、それを早くヒールアウトしたリコーが右TBパスを展開、FB山本も参加して坂田をおびき出してから最後はフリーの平木に渡り右隅にトライ。この日両チームを通じて初めてのトライで6-7とリードされてしまいました。
 
その後7~8分はリコーペースとなりました。試合開始から近鉄ペースで安心して見ていられたのですが、この時初めて「大丈夫かいな」と思ってしまいました。
 
しかし、近鉄のFW戦へのこだわりとその闘志は変わらず、今里や上村のHB陣のパント攻撃で徐々に近鉄ペースに戻って行きました。
 
26分、リコー陣で近鉄が左へTBパスを展開。坂田がよく粘ってラックは近鉄ボールでヒールアウト、今度は右オープンへ展開するであろうと思っていたリコーTB陣はかぶっていて、今里はそれを見ると空になった右コーナーへ高いパントを上げます。そこへ全力疾走で追いついた吉田がコーナーフラッグ寸前に飛び込み10-7と逆転トライ。
 
地元花園のスタンドからは大歓声が起こりました。
 
その後も安定した試合運びでノーサイド。5年ぶり8度目の優勝を達成しました。
 
リコーの石田監督は「気力の差だと思います。近鉄FWの怖さを知っているつもりだったが、あれほど激しく当たってくるとは」と述べ、後川主将は「近鉄の火のような迫力に位負けした」と述べました。
 
一方、近鉄の大久保監督も「気合勝ちです」と述べました。決勝の前には「FWは頭から突っ込め、バックスも頭からタックルだ」と指示したそうです。
 
近鉄は前年の決勝でリコーに敗れてからこの1年間、この試合に賭けていました。その気迫が試合でも滲み出ていました。後のラグビーマガジンでの座談会でも「これだけ練習して負ける筈が無いという自信があるほどのきつい練習をした」という声が聞かれました。
 
もちろん勝因は気迫だけではありません。重量化されたリコーFWでしたが、準決勝のトヨタ戦ではスクラムも押されラックでも劣勢に回ったことで、バックスへ良い玉が出せませんでした。それを見抜いてか、ひたむきにFW戦に持ち込むという作戦で、ジリジリとリコーFWを後退させたことも勝因だったと思います。
 
近鉄は、この1週間後、早稲田大学を国立競技場で破り、3度目の日本選手権を獲得します。
 
■第27回全国社会人ラグビー大会・決勝
日時: 昭和50年(1975年)1月8日(水)14:30
会場: 花園Ⅰ
 結果: 近鉄(近畿日本鉄道) ○10-7 リコー
 前半6-0 (近鉄002) (リコー000)*
 後半4-7 (近鉄100) (リコー101)*
 *()内の数字はT、G、PGの順。
 主審: 牧弥太郎氏(早大出)

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