花園ラグビー場に初めて洋式トイレが作られた頃

花園ラグビー場に初めて洋式トイレが作られた頃
 
突然ですが、花園ラグビー場に最初に洋式トイレが作られたのはいつでしょうか?
 
開場した1929年(昭和4年)でもなく、高校ラグビーが盛んになりバックスタンドをコンクリートにしてスコアボードを北側インゴール後方に移動した1979年(昭和54年)でもなく、3万人収容に大幅改修した1991年(平成3年)でもありません。
 
戦後、1946年(昭和21年)に選手達が復員してきて4月に近鉄ラグビー部の活動を再開しましたが、ホームグラウンドである花園ラグビー場は既に前年の1945年(昭和20年)10月4日に進駐軍(米軍第98師団)に接収されていて、使用することは出来ませんでした。
 
当時は進駐軍が日本の主要な施設や公園を接収していた時代ですから花園ラグビー場も仕方がありませんでした。米軍のアメリカンフットボール場として使われていました。近鉄の選手達は橿原やあやめ池のグラウンドなどで練習を行っていました。
 
それが3年後の1949年(昭和24年)6月3日、進駐軍の接収が解除されました。近鉄が第1回全国社会人大会で準優勝した4ヶ月後の話です。ちょうど66年前の今日のことであり、また花園ラグビー場20周年の年でもありました。
 
近鉄ラグビー部の選手達は勇んで、第一グラウンドのメインスタンド内部の建物に入って行き、着替えを始めましたが、ある選手が「ちょっと便所に行ってくるわ」とトイレに行くと、血相をかえて「便所がえらいこっちゃ」と選手達のもとに戻ってきました。
 
皆で行ってみるとトイレはすべて洋式トイレになっていたのです。進駐軍が接収してアメリカンフットボールに使っている間に、洋式に変えられていたのです。
 
選手達は初めて見る洋式トイレをどうやって使うのかも分からず、結局、最初にこのトイレを発見した選手は仕方なく、洋式便器の便座の上に乗って所謂「うんこ座り」で用を足したそうです。(笑)
 
当時、選手で現場に居合わせた私の父が教えてくれた逸話です。その時は第一発見者の選手の名前も教えてくれましたが、もう忘れてしまいました。
 
現在の花園ラグビーの一般客用トイレには洋式トイレがいくつかあります。うる覚えですが和式5:洋式1程度ではないでしょうか。多分1991年(平成3年)の改修で導入されたものと思います。
 
2019年ワールドカップに向けた改修ではトイレもバリアフリーにせねばならないという記事を読みましたが、その際にはすべて温水洗浄便座にして外国のラグビーファンの度肝を抜いてほしいものです。