羽咋工業高校ラグビー部は学校創立の翌年1963年(昭和38年)に創部、2年後の1965年度(昭和40年度)に花園の全国大会に出場、翌1966年度(昭和41年度)も出場、1年置いて1968年度(昭和43年度)から3年連続出場という強豪でした。特に当時の出場枠は1県1校ではなく「北陸代表」として石川県と福井県が争っていましたので花園に出場するのは並大抵のことではありませんでした。
文後貢選手は引退後、母校の監督として何度も花園の全国大会に出場していますし、北陸地方の選抜チームの指導をされているようです。薮田雅選手は近鉄で副将を3シーズン勤められました。そしてご存知、浜辺和選手は日本代表として12キャップという輝かしい成績を残しておられます。