羽咋工業高校のこと

 
今日、NHK総合テレビの旅番組「鶴瓶の家族に乾杯」をふと見ると石川県羽咋市の特集でした。
 
羽咋(はくい)という珍しい地名ですが、私が初めて知ったのは1970年代前半(昭和40年代後半)に近鉄ラグビー部に入部した坂本啓選手の出身校が羽咋工業高校だからでした。
 
羽咋・・・これは何と読むの?」とメンバー表を見て父に教えてもらいました。(当時、漢字や地名などラグビーのメンバー表や機関誌で覚えたラグビー少年でした)
 
羽咋工業高校ラグビー部は学校創立の翌年1963年(昭和38年)に創部、2年後の1965年度(昭和40年度)に花園の全国大会に出場、翌1966年度(昭和41年度)も出場、1年置いて1968年度(昭和43年度)から3年連続出場という強豪でした。特に当時の出場枠は1県1校ではなく「北陸代表」として石川県と福井県が争っていましたので花園に出場するのは並大抵のことではありませんでした。
 
坂本選手はHOでしたが、以後、羽咋工高からは文後貢選手(FL)、薮田雅選手(TB)、浜辺和選手(PR)ら、高卒で有望な選手が近鉄に入部しています。
 
文後貢選手は引退後、母校の監督として何度も花園の全国大会に出場していますし、北陸地方の選抜チームの指導をされているようです。薮田雅選手は近鉄で副将を3シーズン勤められました。そしてご存知、浜辺和選手は日本代表として12キャップという輝かしい成績を残しておられます。
 
石川県からは2005年度以降、日本航空石川日本航空第二)が花園に8年連続出場しており同校の独壇場で、羽咋工高は2004年度の23回目の出場を最後に花園に出場できていません。
 
今後の羽咋工高ラグビー部の復活を祈りたいと思います。