大分舞鶴高校のジャージ

 
昨日のブログを見て友人から「大分舞鶴は昔は天理と同じ全白ではなかったか」と連絡がありました。自分でも「もしかしたら白やったんかな」と思って調べましたら、同校の歴史を綴ったこんなサイトがありました。
 
 
これによると、全黒の前は赤白で間違えはなかったのですが、赤白・全黒にした経緯が書かれていますので少し抜粋させていただきます。
 
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ST-4〉 全国大会初出場
・・・昭和31年第36回全国大会で大分舞鶴は記念すべき第1歩を記した。県決勝で高田を22−0で下し、東九州予選で宮崎代表に勝ち、全国大会に初出場。「どうせやるなら日本一に」と、ジャージーは全日本の使用する赤と白の縞模様を新調した。・・・
 
 
ST-7〉 黒ジャージー
昭和46年正月 全国大会初戦に勝った直後だった。柴田実部長が同協会理事に呼び止められた。「全日本と同じユニフォームなので,今後全国大会で着用するのは 遠慮して欲しい。」「全日本のように強くなろうと真似て作ったのに,あまりに突然で驚いた。」と柴田は言う。しかし、それも大分舞鶴が全国的に強豪校として 認められた証拠でもあった。
「日本一が駄目なら世界一でいこう」木下らが考えた末、決定したのは黒ジャージーに黒パンツ、黒ソックス。それは当時世界最強チームの、オールブラックスのユニフォームだった。
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やはり赤白はジャパンを、全黒はオールブラックスを意識して決められたそうです。
 
それにしても、協会の人が「遠慮して欲しい」という表現ながら、全日本と同じ色にするなって、ひどい話ですね。確かに全日本のジャージを神聖なもの・ラガーマンの憧れとする気持ちは分からないでもないですが、実際に当事者に言うべきことではないと思います。
 
まあ、何の業界・スポーツでも協会の人って偉そうに言う人は居ますよね。