これから書いてゆきたいこと

 
イメージ 1
 
 
 
いつも読んでいただきありがとうございます。
 
今日で2012年度(平成24年度)も終了ですね。
 
このブログに色々書きたいことがありながら、日々の忙しさでなかなか筆が進みません。書く前に資料整理も必要ですが、整理していると抜けている部分があり、更に段ボールから出してきて資料を探していると懐かしさでつい読みふけてしまったり(笑)ということもあります。
 
 
■部員名簿
このブログでの仕事としては、戦後から1970年代までの部員名簿を完成させ掲載したいと思っています(1980年以降は完成掲載済み)。
 
戦跡(試合に出場した選手)はできる限りこのブログに掲載してきて、残るはトップリーグ発足後の分だけですが、トップリーグ公式サイトと関西協会公式サイトのトップウエストの戦跡を見ればわかりますし、ネット検索でヒットすると思います。
 
ただ、公式戦に出れなかった部員の名前もネットで検索でヒットするようにすることが、近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)を支えてきた部員へのリスペクトだと思います。
 
 
■鮮鉄
また、個人的な興味と「もっと世間に知らせ後世に残しても良いのではないか」という思いで、「戦前の社会人最強チーム」鮮鉄ラグビーのことも今、調べています。
 
近鉄ラグビー部は「鮮鉄の流れをくむ」と言われています。実際、戦後最初の監督の柘植平内さんは鮮鉄出身であり、知葉友雄さんも近鉄強化に手を貸してくれた方です。更にあまり知られていませんが中島義信監督も一時期、鮮鉄に在籍していたとのことです。花園ラグビー場の資料室に鮮鉄のコーナーが設けてあるのも、近鉄との関係からすると納得できます。
 
 
■名選手
坂田好弘選手・今里良三選手は書きましたが、近鉄の名選手(レジェンド)として称えられるべき選手が他に数多くいます。古くは戦前・戦後の選手から、前田隆介選手(現監督)や浜辺和選手あたりまで、もっともっとピックアップして書きたいと思っています。
 
 
■アマチュアリズム
また、仕事とラグビーの両立で「アマチュアの鏡」と言われた近鉄ラグビーのエピソードなども、たくさん紹介したいと思います。古いラグビーファンの方は知っておられると思いますが、ネット上に残しておきたい事柄です。
 
 
図書館やオールドファンの家庭には本や雑誌という紙の媒体で古いラグビーの情報が眠っているかもしれませんが、インターネット上では古いラグビーの情報量は他のスポーツ(野球やサッカー)よりはるかに少ないと思います。
 
ラグビー界でみても、大学ラグビーの情報は結構ファンが多くインターネットでも昔のことが分かりやすく多いほうですが、社会人ラグビーは比較的インターネット上の情報量が少なく、あっても釜石や神戸製鋼の7連覇といった時代までで、それ以前の八幡・近鉄トヨタ・三菱京都・リコーの時代や、関西リーグで大阪府警京都市役所などが強かった時代のことももっと知られても良いと思っています。
 
これからもコツコツ書いてゆきたいと思います。